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●アルマームード&コスマー&ナタルマ

 サンデーサイレンスの種牡馬としての大活躍で、我が国でもすっかりお馴染みになったヘイロー系とノーザンダンサー系との配合には必ずと言っていいほどAlmahmoud(アルマームード)のクロスが存在します。
それもそのはず、ヘイローの母Cosmah(コスマー)、ノーザンダンサーの母Natalma(ナタルマ)はいずれもこのAlmahmoudの仔だからです。

【Almahmoud】

 Almahmoudの現役時代の成績は、大したことありません。しかし、その産駒の中から、世紀の大種牡馬ノーザンダンサー、同じくヘイローが出たことから、その名前は一躍有名になり、今や名牝系の祖として君臨することとなったのです。
 Almahmoudは、長年に渡ってアメリカの生産界に多大な影響を与えてきたホイットニーファミリーの生産馬です。

 Almahmoudの父Mahmoud(マームード)は、C.V.ホイットニーが輸入して、レキシントンにあった彼の牧場で繋養されていた1936年のエプソムダービー馬です。
 母のArbitratorは、1934年のベルモントSの勝ち馬Peace Chanceの産駒で、不出走で繁殖入りしています。

 さて、1940年代を代表するケンタッキーのホースマンに、ヘンリー・ナイトという人物がいました。彼はケンタッキーでアルマハーストファームを経営していたが、1948年に1歳馬だったAlmahmoudをホイットニーから購入しています。
 翌年、ナイト氏はAlmahmoudをサラトガイヤリングセールに出しました。そしてT.D.タガートが1万5000ドルという高値で落札しました。しかし、その直後にタガート氏が死去してしまい、その後所有者はウィリアム・ヘリス氏へと移っています。
 その年にコリーンSを優勝したAlmahmoudは、3歳になってガーデンステートで行われたヴァインランドHも制しています。
 Almahmoudの気性はかなり激しかったようで成績は不安定だったようです。 しかし、はまった時の強さは目を見張るものがあったということです。
結局3歳で引退したAlmahmoudは、2シーズンで通算11戦4勝の成績をあげています。
 この後オーナーのヘリス氏が死去し、このAlmahmoudを購入したのは、なんと最初にこの牝馬を購入したヘンリー・ナイトでした。しかし、今度はナイト氏が病気になり、結局またAlmahmoudを放出することになってしまいました。

 子供のいなかったナイト氏がかわいがっていた若いホースマンの中に、ヴァージニア出身のダニー・ヴァン・クリーフという人物がいました。ヴァン・クリーフ氏はヴァージニアでニドリースタッドを経営し、後にヴァージニア州議会の議員にもなっています。
 ナイト氏はディスパーザルセールの直前に、ヴァン・クリーフ氏にこのAlmahmoudの購入を薦めました。恩師の助言を守ったヴァン・クリーフ氏は、5万7000ドルで彼女を落札しました。実際、当時のヴァン・クリーフ氏にとってはかなり勇気の要る買い物であったということです。

 こうして持ち主が転々としたAlmahmoudは、やっと生涯の持ち主に出会うこととなったのです。ヴァン・クリーフファミリーは、このAlmahmoudの繁殖としての大活躍で、大成功を収めました。
まずは、Cosmahの活躍が、Almahmoudの価格の高騰の要因ともなりましたが、むしろ繁殖牝馬としてのCosmahの活躍は、現役時代の活躍を遥かに凌駕する偉大なものでした。

 Almahmoudは、1971年、Almahmoudは舟状骨炎のために24年の偉大な生涯に幕を閉じた。その血は、直系だけでなく孫のNorthern DancerやHaloらを通じて世界中に広がりました。

【Cosmah】

 1953年にAlmahmoudは、Cosmic Bombとの間に初仔となる牝馬を出産しました。
 当時ケンタッキーを代表するホースマンだったオリン・ジェントリーの薦めで、ユージン・モリが7000ドルで購入していました。
 そのCosmahと名付けられた牝馬は2歳時に、この年最強の2歳牝馬と言われていたDark Vintageが、進路妨害のために失格となったこともあり、繰り上がりでアスタリタSを優勝。さらに当時のアメリカにおいて2歳牝馬の二大レースであったガーデニアSとフリゼットSで共に入着を果たしています。
 3歳になり、ガゼルSとペイジェントSで2着に入ったCosmahは、通算30戦9勝の成績を上げて引退しました。

 Cosmahの初仔は、1961年生まれのTim Tam産駒の牝馬Tosmahでした。
Tosmahは、驚異的なスピードを武器に大活躍。2歳時にアスタリタS、マーメイドS、フリゼットSなどを制覇し、Tosmahが着外に敗れたガーデニアSを制したCastle Forbesと、この年の2歳牝馬チャンピオンの座を分け合いました。3歳時には、アーリントンクラシックで牡馬相手に優勝、その他ベルデイムSなどステークス9勝をあげて、この年も3歳牝馬チャンピオンに選出されています。その後5歳まで活躍を続け、通算39戦23勝という素晴らしい成績で引退しました。しかし、繁殖牝馬としては4頭の産駒しか残せず、これといった産駒は残せませんでした。

 この後Cosmahは、ケンタッキーの名門ゲインズウェイファームの創始者ジョンR.ゲインズに売却されました。
1962年生まれのRibot産駒の牡馬Maribeauは、ファンテンオブユースSに優勝。1963年生まれのSwaps産駒ファーザーズイメージは、2歳時にアーリントンワシントンフューチュリティーとピムリコフューチュリティーで2着し、引退後に種牡馬として日本へ渡り、皐月賞馬ハワイアンイメージの父となりました。

 そして再びRibotと種付けされ、1966年に生まれた牝馬がQueen Sucree。彼女は競走馬としては大成しなかったものの、繁殖牝馬としてはCannonadeの母となりました。
 Cannonadeは、1974年に行われた第100回ケンタッキーダービーの勝者となっています。Queen Sucreeは他にも、日本で種牡馬入りし武蔵野S(G3)の勝ち馬キソジゴールドなどを出したワッスルタッチなど、計4頭のステークスウイナーを輩出した他、1985年にケンタッキーダービー(米G1)とベルモントS(米G1)で2着したStephan's Odysseyの母Kennelotを輩出しています。

 そして1969年に、1960年の米2歳牡馬チャンピオンHail to Reasonとの間に生まれた牡馬がHaloでした。
 Haloは、1970年のキーンランドジュライセールに上場され、ニジンスキーの馬主としても知られるチャールズW.エンゲルハードに10万ドルで落札されました。

 Haloは、マッケンジー・ミラー調教師の元でデビューし、3歳時にローレンスリアリゼーションSに優勝。その後、ハリウッドの有名な映画プロデューサーだったアーヴィング・アレンが、エンゲルハード夫人から60万ドルで購入し、一旦は彼が英国に所有していたデリスリースタッドに送られたようですが、種牡馬として全く相手にされなかったため、なんとアメリカに戻って現役復帰することとなりました。(昔はこんなことが実際にあったのですね。)

 Haloは、この後カナダの歴史的な名馬産家E.P.テイラーに転売され、5歳時にアメリカの芝の最も重要なレースの一つユナイテッドネーションズHを制して、テイラー氏の所有するウィンドフィールズファームのメリーランド分場で種牡馬入りしています。
 Haloは、ファーストクロップから名牝Glorious Song(34戦17勝、シングスピール、Rahyの母)やMisty Galloreらを輩出し、その種牡馬としての才覚を示しました。
その後ケンタッキーのストーンファームに移り、2度の北米リーディングサイヤーとなりました。

 1989年の米年度代表馬で、種牡馬として日本に渡り、歴史的な大成功を収めたサンデーサイレンスをはじめ、サニーズヘイロー、グッバイヘイロー、Devil's Bag(Glorious Songの全弟)などの名馬を次々と送り出すこととなります。
 Cosmahのファミリーラインからは、他にも米芝牝馬チャンピオンの名牝Flawlesslyや、仏チャンピオンマイラーのL'Emigrantなども出ており、日本ではスーパーダートダービーの勝ち馬サンライフテイオー、京成杯(G3)の勝ち馬ローマンエンパイア、全日本2歳優駿の勝ち馬グレイスティアラがいます。

【Natalma】

 Almahmoudは、Cosmahを産んだ翌年は双子を死産し、その翌年は空胎、翌年に生まれた2番目のCitation産駒Armisticeは、16戦して1勝に終わっています。
 そしてその翌年の1957年に名馬Native DancerとAlmahmoudの間に生まれてきた牝馬がNatalmaです。

 Native Dancerは「Grey Ghost(灰色の幽霊)」の愛称で親しまれた、アメリカ競馬史上空前のアイドルホース。22戦して敗れたのは3歳時のケンタッキーダービー(2着)の1戦のみという素晴らしい競走成績で、種牡馬としても産駒のRaise a Nativeらを経て、現在その直系は大繁栄している。

 ダニー・ヴァン・クリーフと、そのおばにあたるミセスE.H.アウグストゥス生産のNatalmaは、前述したE.P.テイラーの目にとまり、1958年のサラトガイヤリングセールにおいて、Natalmaは3万5000ドルで落札された。テイラー氏がHaloを購入する10年以上前のことである。
 E.P.テイラーは、ビール醸造で財を成した大富豪で、およそ半世紀にわたって馬産に情熱を注ぎ込み、カナダの馬産を世界水準に引き上げた偉大なホースマンで、現在でもカナダのG1レースにその名は刻まれています。

 Natalmaはホレイショ・ルロ調教師の元でデビューし、2歳時にスピナウェイSで強敵Irish Jayを破って1着に入線したものの、進路妨害のため3着に降着となりました。翌年ケンタッキーオークスを目指していたNatalmaでしたが、直前の調教で骨折したために、同レースを回避してそのまま引退しています。通算成績は7戦3勝でした。
 Natalmaは、すぐにテイラーの所有するウィンドフィールズファームで繁殖入りして、同じ年に種牡馬入りしたばかりだったNearcticと交配されました。

 Nearcticはテイラーの自家生産馬で、カナダの年度代表馬となった名馬です。テイラーは、その母である名馬Hyperion産駒のLady Angelaを、1952年のニューマーケットディセンバーセールで、同セールの最高価格となる1万5000ギニーで落札し、その時お腹にいた名馬Nearcoの仔を出産させた後、もう一度Nearcoを種付けしてからカナダへ輸入している。そこで生まれたのがNearcticでした。

 この頃のテイラーは毎年のように、イヤリングセールを、ウィンドフィールズで開催していました。そして売れ残った馬は自分で走らせることにしていました。
 1962年のセールで最高価格となる2万5000ドルという価格を設定されていたのが、Natalmaの初仔となるNearctic産駒でした。見た目にも小さなその牡馬に潜むポテンシャルに気付くバイヤーはおらず、結局買い手は付きませんでした。それがNorthern Dancerです。

 Northern Dancerは、当初T.フレミング調教師の管理馬でしたが、後に母Natalmaと同じホレイショ・ルロ調教師の元に移り、2歳時に9戦7勝の成績でカナダ2歳牡馬チャンピオンとなりました。3歳になると2戦目から4連勝でブルーグラスSを制してケンタッキーダービーに挑戦。ケンタッキーダービーを2分フラットのレコードで優勝しました。
 この後プリークネスSで二冠を達成し、ベルモントSは3着に敗れて三冠こそ逃しましたが、その後カナダ3歳馬の最高峰のレースであるクイーンズプレートも圧勝しています。
 この後屈腱炎を発症して引退したNorthern Dancerでしたが、この年の加年度代表馬と米3歳牡馬チャンピオンに選出されました。

 Northern Dancerは、当初カナダのウインドフィールズファームで種牡馬入りしました。
 The Mistrel、セクレト、Nijinskyという3頭のエプソムダービー馬を輩出、Nijinskyは英国最後のクラシック三冠馬となり、種牡馬としてもファーディナンド、ラムタラ、Caerleonらのクラシック馬を出して、そのラインを更に拡げています。
 
 そしてやがて「ノーザンダンサーの血一滴は、ダイヤモンド1カラットより価値がある」といわれるようになりました。

 後継種牡馬にもSadler's Wells、Lyphard、Storm Bird、Danzig、Nureyevなど、多くの名種牡馬が誕生しています。Northern Dancerは1971年に北米のリーディングサイヤーとなり、英愛リーディングには4度輝き、トータル146頭のステークスウイナーを輩出しました。これは当時の最高記録です。
以後Northern Dancerほどの大物は出せなかったNatalmaでしたが、他に3頭のステークスウイナーを輩出しています。その3頭は、Native Victor(父Victoria Park)、Born a Lady(父Tentam)、Regal Dancer(父Grey Monarch)です。
 
 更に、1963年生まれのNorthern Dancerの全妹Arctic Dancerは、1972年にデビュー12連勝を飾り、加年度代表馬で米2歳牝馬チャンピオンとなった名牝La Prevoyante(父Buckpasser)の母となり、1974年にBuckpasserとの間に生まれたSpring Aieuは、Northern Dancerの倍以上となる300頭を超えるステークスウイナーを輩出した大種牡馬デインヒルの祖母となりました。
 他にも1978年生まれのHoist the Flagの牝馬Raise the Standardのラインからは、仏2歳チャンピオンMachiavellian(マキャヴェリアン)や、凱旋門賞馬Bago(バゴ)が出るなど、Natalmaの子孫は世界中で大繁栄したのでした。
posted by 楽天馬2 at 23:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競走馬達の物語
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