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【デインヒルの生涯】
現役時代は伊仏愛で9戦4勝の成績を収めました。G1は1989年のスプリントカップの1勝のみで、クラシックは2000ギニーでナシュワンの3着、アイリッシュ2000ギニーでシャーディーの4着となっています。
引退後はアイルランドの大牧場のクールモアスタッドで種牡馬となったデインヒルは、この当時は極めて珍しいシャトル種牡馬として、北半球がオフシーズンの間は、オーストラリアで種付けを行ないました。そしてオーストラリアで豪2歳チャンピオンとなるフライングスパーを輩出し、その後本国アイルランドでアイリッシュダービー優勝馬デザートキングを輩出したことで、一躍脚光を浴びることになります。
デインヒルの成功が、オフシーズンにオーストラリアやニュージーランドで種牡馬として種付けを行なう「シャトル種牡馬」の始まりとなったと言っても過言ではありません。
そしてついに2005年には長らく君臨し続けていたサドラーズウェルズを破りイギリスリーディングサイアーを獲得しました。
日本では1996年に1年だけリース種牡馬として種牡馬生活を送りました。
ここでも少ない産駒から神戸新聞杯を制したフサイチソニック、ブレイクタイム(京成杯オータムハンデキャップ2回、安田記念2着)を輩出しています。また外国産馬として秋華賞、エリザベス女王杯に優勝したファインモーションの父としても有名になりました。
しかし、さらなる飛躍が期待される中で、2003年に放牧中に転倒し、そのままこの世を去ることになったのです。
自分自身は、芝1200mのG1しか勝っていませんが、産駒はウェスタナーが芝4000mのGIを制する(カドラン賞2回、アスコットゴールドカップ)など幅広い路線で活躍しました。
【種牡馬成績】
イギリスリーディングサイアー - 1回(2005年)
オーストラリアリーディングサイアー - 8回(1994/95年-1996/97年、1999/00年-2003/04年)
フランスリーディングサイアー - 2回(2001,02年)
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【産駒実績】
◆デザートキング(Desert King 1997年アイリッシュダービー、アイリッシュ2000ギニー)
◆フェアリーキングプローン(Fairy King Prawn 2000年安田記念、1999年香港スプリント)
◆モーツァルト(Mozart 2001年ジュライカップ、ナンソープステークス)
◆バンクスヒル(Banks Hill 2001年ブリーダーズカップ・フィリー&メアターフ、2002年ジャック・ル・マロワ賞)
◆ロックオブジブラルタル (Rock of Gibraltar 2002年イギリス2000ギニー、サセックスステークスなどGI7勝)
◆ファインモーション(2002年エリザベス女王杯、秋華賞)
◆ノースライト(North Light 2004年エプソムダービー)
など多数
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【血統】