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●ナスルーラ

ナスルーラはアイルランドの競走馬・種牡馬です。
大馬産家アガ・カーン3世によって生産された。現役時代は10戦5勝の競走成績で、チャンピオンステークスに勝つなど一定の成績を収めたものの超一流と言うにはほど遠かった。クラシックである2000ギニー(4着)、エプソムダービー(3着)、セントレジャーステークス(6着)はすべて気の悪いところを見せて敗れたように、卓越したスピードを持っていながら気性の悪さで、競走生活ではその能力を十分に発揮できませんでした。
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【ナスルーラの一生】
イスラム教の最大宗派の一つ、シーア派の最高指導者の49代目として生まれたアガ・カーン3世殿下は、若いうちから欧州で教育を受け、イギリスの文化に大変興味を持っていました。中でも彼が強い関心を抱いたのが競馬で、勉強家だった彼は熱心に研究を重ね、まずインドでオーナーとして成功し、遂には名伯楽ジョージ・ランプタン師やドサージュ理論で有名なJ・J・ヴィリエ氏をアドバイザーとして本格的に欧州競馬に進出したのでした。

アガ・カーン3世が欧州2年目にドンカスターのセリ市で購入したザテトラーク産駒の牝馬マムタズマハルは「フライングフィリー(空飛ぶ牝馬)」と呼ばれる程のスピード馬で、殿下の欧州における最初の成功馬となりました。このマムタズマハルは繁殖入りしてからの活躍が素晴らしく、この牝系からマームード(英ダービー、アルマームードの父)、プティエトワール(英オークス・チャンピオンS)、ロイヤルチャージャーなどの名馬が輩出されています。中でも現代の競馬に大きな影響を与えたのがマムタズマハルの孫にあたるナスルーラでした。

ナスルーラは大種牡馬ネアルコを父に持ち、生まれたときから素晴らしい馬体を持ち、将来を嘱望されていましたが、頑固だった父とやや神経質だった母の血を受け継いだためか、過剰とも思われる程の気の強さとわがままさを併せ持っていました。

デビュー戦で一番人気を裏切って3着、2、3戦目は勝ったものの、本命視された3歳チャンピオン決定戦ミドルパークSでは2着に惜敗し、完全に素質を開花することができませんでした。

第2次世界大戦が本格化した1943年、競馬はわずかしか開催されなくなりましたが、それでもギニー戦やダービーといった大レースは場所を移して行われていました。ナスルーラは4歳になっても素質を持て余すレースが続き、ステップレースを快勝して一番人気で迎えた2000ギニーでは先頭に立った途端に走る気をなくして4着、6番人気まで人気を落として迎えたダービーでもゴール前先頭に立つと同時に闘争意欲をなくして3着に敗れました。ステップレースを楽勝して迎えたセントレジャーでは全く先頭に立つ場面もなく6着に惨敗しています。

きまぐれで、わがままで、先頭に立つと気を抜くナスルーラに、色々な調教パターン、ブリンカーの着用など、すべきことは全て行ってみたものの、名調教師フランク・バタース師はナスルーラの素質を見限ることができませんでした。そこで、この年の有力な4歳馬が集まったチャンピオンSにナスルーラを挑ませたのでした。鞍上の名騎手リチャード・ゴードンはナスルーラの「先頭に立ったら気を抜く」性格を考え、ゴール直前で他馬を差し切る戦略を選び、ナスルーラはそれに応えてゴール前素晴らしい末脚を披露し圧勝、ナスルーラは現役最後のレースでようやく本来の力を示したのでした。

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しかし、ナスルーラが本当の意味でその真価を発揮するのは、引退して種牡馬になってからでした。イギリス・アイルランドで種牡馬生活を始めたナスルーラは初年度産駒から愛ダービーを制したナッソーなどを輩出して注目を集め、その後産駒のネヴァーセイダイ(英ダービー・セントレジャー)、ムシドラ(英1000ギニー・英オークス)などが次々と大レースを制していき、1951年には英愛リーディングサイヤーに輝いています。

このナスルーラの初年度産駒ヌーアが、名馬サイテーションを破ったのを見て強く感銘を受けた人がいました。その人こそアメリカの名門・クレイボーンファームのアーサー・B・ハンコック・ジュニア氏でした。父の跡を継いでクレイボーンを任されたばかりの彼は、最初の大仕事としてナスルーラを輸入することを決意したのでした。

もちろん当時ナスルーラをけい養していたジョセフ・マグラス氏はナスルーラを手放す気はありませんでしたが、3万7000ドルという巨額のオファーに心を動かされ、ナスルーラはアメリカに渡ったのでした。
そしてナスルーラはアメリカでもナシュア(プリークネスS・ベルモントS)、ボールドルーラー(プリークネスS)などを輩出し、大成功を収めます。
ついにナスルーラは1955年から4度北米リーディングサイヤーに輝き、英国と米国でリーディングサイヤーとなった最初の種牡馬となりました。

ナスルーラの気難しさは種牡馬入りしてからも相変わらずでしたが、産駒にはその気性が勝負根性という形で伝わり、芝・ダート、距離を問わず一流馬を輩出しつづけました。1959年にけい養先のクレイボーンファームで大動脈破裂のため急死しましたが、その2日前に種付けした最後の産駒はナスラムと名づけられ、見事、キングジョージVI&クイーンエリザベスSを制しています。

彼の産駒は世界中の国で種牡馬として成功を収め、その血脈は現代競馬の主流の一つとなっています。

1942年 - イギリス最優秀2歳牡馬
1951年 - イギリスリーディングサイアー
1955,56,59,60,62年 - アメリカリーディングサイアー
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【主な産駒】
◆ネヴァーセイダイ(エプソムダービー、セントレジャーステークス、英愛リーディングサイアー)
◆ボールドルーラー(プリークネスステークス、米リーディングサイアー8回)
◆ナシュア(プリークネスステークス、ベルモントステークス)
◆ネヴァーベンド(英愛リーディングサイアー)
◆ムシドラ(1000ギニー、オークス)
◆レッドゴッド、プリンスリーギフト、グレイソヴリンなど
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【血統図】
ナスルーラ.JPG
posted by 楽天馬2 at 23:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競走馬達の物語
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