【TOPページへ】
このサイトではノーザンダンサー、ナスルーラ、ハイペリオン、ネイティブダンサー、リボーなどの名競走馬であり名種牡馬達の物語を紹介します。
お気に入りリンク
一口馬主クラブ「キャロットクラブ」を中心とした『POG(ペーパー・オーナーズ・ゲーム)&一口馬主(競走用馬ファンド)』の情報サイト このサイトは競馬・一口馬主・POGに関連する様々な情報を紹介します。一口馬主クラブのキャロットクラブの2005年募集馬の活躍情報や、2006年募集馬情報も満載です。

●セクレタリアト

セクレタリアト(Secretariat、1970年−1989年)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬です。1973年のアメリカ三冠を初めとして数多くの大記録を打ちたてました。特に三冠最終戦のベルモントステークスは伝説のレースとして有名です。
馬でありながらタイム誌による20世紀のトップアスリートの35位にもランクされました。愛称は、マンノウォーと同じ『ビッグレッド』です。主戦騎手はロン・ターコットでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【セレタリアトの一生】
セクレタリアトは、アメリカ競馬発祥の地バージニア州で最大級の規模を誇るメドウ・ステーブルで生まれました。名前のセクレタリアトは「事務局、又は書記職」という意味で、牧場の事務を一手に引き受けたエリザベス・ハムに感謝してつけられたといわれています。

セクレタリアトの母サムシングロイヤルはセクレタリアトの他に名種牡馬サーゲイロード(Sir Gaylord)、ファーストファミリー(First Family)、シリアンシー(Syrian Sea)、ロイヤルタタン(Royal Tatan)を輩出し、出産した18頭中11頭が勝ち上がるという優秀な繁殖牝馬でした。

父ボールドルーラーはアメリカのリーディングサイアーを8回もとった大種牡馬ですが、セクレタリアトが現われるまではアメリカの三冠レースに縁がありませんでした。
ボールドルーラーのオーナーであるグラディス・フィプス女史は、種付け料が無料の代わりに生まれた産駒を生産者とフィプスの間で交互に所有し、その順番はコイントスにて決定するという面白い契約をしていました。セクレタリアトもメドウ・ステーブルの代表者ヘレン・チェナリーとフィプスの間でこの契約が交わされ、1969年にサラトガ競馬場で翌年生まれる仔馬をどちらが所有するか勝負しました。
そしてコイントスの結果、チェナリーが勝利し、セクレタリアトはメドウ・ステーブルが所有することになりました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ルシアン・ローリン調教師のもとで鍛えられたセクレタリアトは、7月のアケダクト競馬場で行われたメイドン(未勝利戦)でデビューしました。
4.1倍の一番人気に押されたもののスタートで出遅れ、さらに道中でも2度の不利を受けハーブルの4着に敗れてしまいます。
しかし1週間後同じくアケダクト競馬場で行われたメイドンでは6馬身差の圧勝で初勝利を飾りました。セクレタリアトはこの後サンフォードステークス、ホープフルステークス、フューチュリティステークスを含む5連勝を上げました。
特にホープフルステークスは、当時2歳の最重要レースでしたが、ここも5馬身差で勝利し、マンノウォーの再来、二代目ビッグレッド(BigRed)と呼ばれるようになったのです。

7戦目のシャンペンステークスでは出遅れたうえストップザミュージックと接触、結局進路妨害で2着降格しましたが、ローレルフューチュリティ、ガーデンステートステークスを連勝し、最優秀2歳牡馬を取るとともに2歳にしてアメリカ年度代表馬に輝いています。
1972年はグレード制導入前。Dはダート、Tは芝、Rはレコードの略

―――――――――――――――――――――――――――――――――
3歳になって、年初の1月3日に生産者であり所有者であるC.シナリーが死亡したため、同氏の遺産管財人はセクレタリアトの売却が決定されます。
19万ドル×32株、総額608万ドルのシンジケートが組まれました。これは英三冠馬ニジンスキーが付けた544万ドルを上回るもので、一部からは3歳になったばかりの馬にこの額は異常との声も出たほどでした。

この騒ぎの中、暖かいフロリダで過ごしていたセクレタリアトは、3月にニューヨークに戻ってきます。ケンタッキーダービーの前哨戦であるウッドメモリアルステークスでは4着に敗退しましたが、それ以外は全勝で、ゴーサムステークスでもレコード勝ちをおさめます。そしてケンタッキーダービーでは、最後方から徐々に進出し直線抜け出すと、ノーザンダンサーの持つレコードを0.6秒更新する1分59秒4のレコードでまず一冠を獲得したのでした。このレコードは30年以上たつ現在でもケンタッキーダービーのレコードとなっています。

2冠目のプリークネスステークスも最後方から早め先頭でシャムに2馬身半差をつけ楽勝。
史上9頭目のアメリカ3冠馬を目指し、ベルモントステークスに参戦します。
このベルモントステークスこそ、後に伝説となるセクレタリアトのベストレースでした。

ベルモントパーク競馬場には6万7千人の観客が詰め掛けていましたが、レースはセクレタリアトの独壇場、珍しく逃げの戦法を取ったセクレタリアトに、前二冠で連続2着となっていた対抗のシャムが唯一ついて行こうとしましたが早めに力尽き後退、その他の馬たちもまったく付いていけず、直線入り口ですでに10-20馬身差、ゴールしたときは2着のトワイスアプリンスに31馬身もの差をつけて圧勝してしまったのです。タイムは2分24秒0、ベルモントステークスやダート12ハロンのレコードどころか、ダート2300mのワールドレコードすらも上回るという驚異的なタイムでした。これは現在でもダート12ハロンのワールドレコードであり、もはや更新不可能といわれています。

また、2400m-2分24秒という時計も然ることながら、自らが逃げて作り出した通過ラップタイムである400m:23秒6−800m:46秒2−1200m:1分9秒2−1600m:1分34秒2−2000m:1分59秒も驚異的でした。

400mの通過タイムを除き、800m以降の到達タイムは、未だにベルモントSのレコードタイムとなっています。1994年ナリタブライアンが勝った皐月賞のレコードタイム(当時)をダートで逃げて叩きだし、かつそのまま2400mを走破してしまうという事実はにわかには考え難いものです。

さらにベルモントステークスの2日後、雑誌タイム誌の表紙を飾り特集が組まれました。これにより競馬に興味のない一般層にも名前が知られる事となったのです。

セクレタリアトはその後も走り続け、熱発等で2度の敗戦を経験するも、ベルモントステークスの次走アーリントン招待ステークスも9馬身差、芝のレースにも挑戦し、初戦は初代ビッグレッド、マンノウォーを記念したマンノウォーステークスに出走し5馬身差レコード、芝でも変わらない強さを見せました。

引退レースでカナダに遠征したカナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークスも圧勝し、2歳時に続いて3歳時も年度代表馬に輝いています。芝ダートを問わない圧倒的な走り、伝説のレースとなったベルモントステークスを含む5度のレコード、史上最強馬と評する者もいます。雑誌タイム誌やニュースウィークなどの表紙を飾り、20世紀の偉大なスポーツ選手の1頭に選ばれたようにアメリカの国民的英雄となったのでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【競走成績】
セクレタリアト1.JPG
―――――――――――――――――――――――――――――――――
2歳の時点で当時のレコード価格となる608万ドル(約18億700万円)のシンジケートが組まれていたセクレタリアトは、父ボールドルーラーが繋用されていたクレイボーンファームで種牡馬入りし、馬房は1971年に死亡した父がかつて使っていたものが用意されました。種牡馬成績は、結果的に、米種牡馬リーディングの上位に入ったのが1988年の8位の1回のみと、あまりぱっとしないと言われていますが、これは競走成績があまりにもすごかったことや、同世代にあのミスタープロスペクターがいたためということもあります。

産駒はBCディスタフに勝ち北米年度代表馬になったレイディーズシークレット(Lady's Secret)、プリークネスステークス、ベルモントステークスを勝った米二冠馬リズンスター(Risen Star)などの活躍馬を含む653頭の産駒から57頭のステークスウィナーを輩出しています。

しかし今では幾つか残した父系子孫も2006年現在その殆どが途絶してしまいました。
一方で、母の父としては非常に良い成績を残しています。
ストームキャット、エーピーインディ、サマースコール、ゴーンウエスト、セクレト、チーフズクラウン等の今活躍中の名種牡馬達の母父が、なんとこのセクレタリアトなのですね。

また、種牡馬セクレタリアトは父ボールドルーラーのスピードよりも、母の父プリンスキロのスタミナを強く出す傾向にあったとも言われています。

セクレタリアトは、1989年秋頃、蹄葉炎を発症し、治療を受けるも4本の足全てが蹄葉炎に蝕まれるなど手の施しようが無いほど悪化し10月4日正午過ぎ安楽死となりました。19歳でした。遺体はクレイボーンファームに埋葬されています。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
【代表産駒】
◆ジェネラルアセンブリー(General Assembly) - 7勝、トラヴァーズステークス、ホープフルステークス
◆レイディーズシークレット(Lady's Secret) - 45戦25勝、BCディスタフ、北米年度代表馬
◆リズンスター(Risen Star) - 11戦8勝、プリークネスステークス、ベルモントステークス 産駒にStar Standard他
◆キングストンルール(Kingston Rule) - メルボルンカップ
◆ティナーズウエイ(パシフィッククラシック2回)
◆ヒシマサル - 13戦5勝、京都4歳特別、きさらぎ賞、毎日杯

ちなみに、産駒のリズンスターはベルモントステークスを14馬身3/4差で勝ち、父のファンを大いに沸かせました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
セクレタリアトにはおもしろいエピソードが残っています。
セクレタリアトはかなりの大食漢で馬体重530kg前後、かなりの大型馬であったにもかかわらず欠点のない馬体と評されました。あだ名は「ビッグレッド」のほかに食べて寝てばかりいたことから「のんびりや」。 死亡時にケンタッキー大学で検死が行われ、心臓の重さが10キログラム弱と、通常の馬の数倍あることがわかりました。なんら病的なものは見られず、セクレタリアトの強さの原動力であったのではと言われました。

主戦騎手のロン・ターコット騎手はカナダ出身。のちにセクレタリアトでの騎乗が認められ、カナダ勲章を受賞しています。アメリカのトップジョッキーでしたが、1978年の悲劇の落馬事故で引退しました。
アーリントンパーク競馬場では、夏にセクレタリアトを記念してセクレタリアトステークス(G1)が開催されます。
ベルモントパーク競馬場には実物の1/3の銅像が飾られており、他にケンタッキーホースパーク等に実物大の銅像があります。

1972年、エクリプス賞年度代表馬、最優秀2歳牡馬
1973年、エクリプス賞年度代表馬、最優秀3歳牡馬、最優秀芝馬
1992年、北米リーディングブルードメアサイアー
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【血統図】
セクレタリアト.JPG

posted by 楽天馬2 at 22:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競走馬達の物語
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/36058280
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。