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●ミルリーフ

ミルリーフはアメリカで生まれ、イギリスで調教された競走馬です。1970年代初頭に活躍しました。
1970年代初頭は英国競馬の黄金時代で、歴史的な名馬が続出した時代でした。
1970年に25年ぶりのトリプルクラウンを無敗で達成したニジンスキー、通算18戦17勝という素晴らしい競走成績を残した中距離の名馬ブリガディアジェラード、欧州の現代三冠(英ダービー・キングジョージ・凱旋門賞)を制したミルリーフ、英ダービー馬でブリガディアジェラードに唯一の黒星を付けたロベルト、3歳時に7戦7勝、フランスの4つの3歳G1レースを総なめして史上最強の3歳馬と評されたマイスワローなどまさに群雄割拠の時代だったのです。その中でも、小柄ながら強豪相手に圧勝を続けたミルリーフの人気は絶大なものがありました。14戦12勝、2着2回という準パーフェクトな戦績を残した現役時代のみならず、名種牡馬としてもその名を上げた繁殖時代まで長くファンに愛された名馬でした。

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【ミルリーフの一生】
ミルリーフを生産・所有したポール・メロン氏はアメリカの代表的な大財閥、メロン家の後継者であり、様々なスポーツを愛好していましたが、中でもイギリス・ケンブリッジ大学在学中に覚えた乗馬に熱中し、第2次世界大戦ではアメリカ陸軍騎兵隊の副隊長を務めたほどでした。戦後、メロン氏はアメリカ・ヴァージニア州のロークバイ牧場で競走馬のオーナー・ブリーディングに力を注ぎはじめます。

1949年にメロン氏はセールでレッドレイというハイペリオン産駒の3歳牝馬を購入しました。レッドレイは、スピード馬インフラレッドを母に持ち、祖母ブラックレイは2頭のチャンピオンホースを出し、後にミルリーフやブラッシンググルームなどの祖となる名牝でした。

しかし、レッドレイは、体質が弱く、結局レースに出走しないまま繁殖牝馬となり、さらに2頭の産駒しか残せずに早世してしまいます。最後に産んだ牝馬ヴァージニアウォーターは、未出走のまま繁殖入りし、名牝バークレイスプリングスを産んでいます。バークレイスプリングスは、チェバリーパークSを勝ち、英オークスと英1000ギニーでともに2着になりました。

この物語の主役ミルリーフは、このバークレイスプリングスの1歳年上の半姉がミランミルの産駒です。ミランミルは、1戦未勝利で繁殖入りした初年度から連続してネヴァーベンドが交配されました。1968年にこのミランミルの2番仔として生まれたのがメロン氏の最高傑作、この物語の主人公ミルリーフだったのです。
何か“かろうじて”、そして“奇跡的に”生まれた馬という感じもしますが、メロン氏の20年間育んできた牝系からでた馬であり、生産者の執念みたいなものを感じますね。

ミルリーフは非常に小柄でしたが、産まれた直後から均整の取れた骨格と精悍な顔つき、鋭敏な感性、しなやかな筋肉など全ての面でずば抜けていたとされており、ロークバイ牧場を訪れた人がこの馬の輝かしい将来を予感したと言います。

当初メロン氏は、ミルリーフをアメリカで走らせようと考えていたようですが、英国の気鋭イアン・ボールディング調教師はこの馬の力強い動きに大きな感銘を受け、メロン氏にこの馬をイギリスでレースに出すように強く勧めました。そしてバークレイスプリングスをボールディング調教師に預けていたという縁もあって、この小柄な馬にヨットの縮帆器を意味するミルリーフという名前を付けて、ボールディング調教師のもとに送り出したのでした。

2歳春にイギリスでデビューしたミルリーフは、デビューしていきなり2連勝を収めますが、ここでフランスの評判馬マイスワローとの最初の対戦が実現します。レースでは逃げたマイスワローにミルリーフが並び掛け、2つのシャドーロールが激しく競り合いましたが、ゴールではマイスワローがハナで粘りきりました。ミルリーフにとっては悔しい初めての敗戦となったのです。
マイスワローはその後モルニ賞、サラマンドル賞、グランクリテリウムとG1を連勝してフランス2歳競馬の四冠を達成し、7戦7勝で2歳チャンピオンに輝いています。

ミルリーフはその後イギリスに戻り、ジムクラックに出走し、10馬身差の圧勝劇を演じたあと、続くインペリアルSでは楽走して半馬身差で勝ち、イギリスの2歳王者決定戦であるデューハーストSも4馬身差で圧勝し、2歳戦を6戦5勝で終えたのでした。

この年、マイスワローがフランスで2歳競馬を歴史的な強さで7戦全勝、またブリガディアジェラードもミドルパークS勝ちなど無キズの4連勝で2歳戦を終えています。
2歳馬のフリーハンデではマイスワロー、ミルリーフ、ブリガディアジェラードの順に各1ポンドの差が付けられましたが、実績・人気共にずば抜けたこの「3強」は翌年「世紀の一戦」英2000ギニーで激突することになるのです。

ミルリーフは英2000ギニーのステップレース、グリーナムSを4馬身差で楽勝し、ライバルのマイスワローはアシャーSを勝ち、デビューから8連勝で2000ギニーに向かいました。ブリガディアジェラードは、英2000ギニーにぶっつけになりましたが、絶好調が伝えられていました。

この3強が集まったことで、この年の2000ギニーは世紀の一戦と呼ばれ、ニジンスキーの全弟ミンスキーが穴馬として多少注目を集めた程度の6頭立てというこのレースとしては珍しい少頭数になりました。ミルリーフは一番人気に支持され、マイスワロー、ブリガディアジェラードの順で人気を集めました。

レースでは名手レスター・ピゴット騎手のマイスワローが逃げ、ミルリーフは2番手を追走しました。ブリガディアジェラードは後方から機を窺う展開です。2歳時の敗戦からマイスワローを早く捉えねばならないと考えたミルリーフのルイス騎手は残り3ハロンの時点でマイスワローを捕まえにいきました。

この2頭の叩き合いかと思われたその直後、ブリガディアジェラードの豪脚が一閃、並ぶ間もなくこの2頭を交わしてこの世紀の一戦を快勝しました。ミルリーフはマイスワローを4分の3馬身振り切ったものの、ブリガディアジェラードからは3馬身差の2着に敗れたのでした。

ブリガディアジェラードのオーナー、J.L.ヒスロップ氏はブリガディアジェラードの中距離馬としての特性を重視して、2000ギニー以後、英ダービーなどのレースには出走せず、その後ミルリーフとは顔を合わせないまま18戦17勝の成績で現役を引退しました。マイスワローはその後勝ち星を挙げることなく11戦8勝で引退し、引退の翌年日本に輸入されることになります。

そしてミルリーフは、2000ギニーの悔しい敗戦を胸に英ダービーに出走しました。ミルリーフの父ネヴァーベンドは、現役時代9ハロンを超える距離では1勝も挙げることができなかった典型的な短距離馬で、ミルリーフにも距離不安が囁かれていました。それでもミルリーフは一番人気に推され、好位から抜け出して逃げたリンデントリーに2馬身差をつけて快勝したのでした。1ヶ月後にはエクリプスSで古馬勢と初対決し、当時のフランス最強古馬カロに4馬身差を付けて圧勝し、続くG1キングジョージVI&クイーンエリザベスSでも好位から抜け出すと見る見る差を広げ、ルイス騎手は手綱を絞り後続を振り返りながらゴールインしました。このとき2着馬のオルティスとは6馬身差がついていました。

この後ミルリーフは秋のG1凱旋門賞(2400m)にターゲットを絞って休養に入りました。この頃には多くの競馬関係者がミルリーフを歴史に残る名馬であると評価し、前年の三冠馬ニジンスキーよりも上であると認めていました。
ミルリーフは凱旋門賞でもいつもと同様圧倒的な人気を集め、いつも通り好位を悠々と進み、いつも通りの豪脚でロンシャン競馬場の直線を駆け抜け、後続に3馬身の差をつけ、2分28秒3のレコードタイムで快勝しました。

イギリス国民は自国の競馬から育ったスーパーヒーローの誕生に歓喜し、アメリカでは自国の生産馬による欧州最強馬の誕生を誇り、イギリスと折り合いのよくないフランスですら、各種メディアが「凱旋門賞史上最強馬である」とミルリーフを讃えました。欧州の競馬ファン全てがミルリーフの勇姿に酔いました。

ミルリーフは4歳時もターフに元気な姿を見せ、ロンシャン競馬場のガネー賞(2100m)を10馬身差で圧勝しました。しかし、続くコロネーションCでは二流馬相手にクビ差まで迫られる辛勝となりました。このときなんとミルリーフはウイルス性の肺炎を発症していたのですが、後日それが分かったときにはミルリーフが体内のウイルスと戦いながらも大レースを勝利した馬としてさらに賞賛を浴びたのでした。ミルリーフはこの病気でエクリプスSの回避を余儀なくされ、その後休養から復帰、乗り運動を開始した直後に骨折してしまい、ついに現役を引退しました。

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イギリスのナショナルスタッドで種牡馬となったミルリーフは、2年目の産駒に英愛ダービー馬シャーリーハイツや仏ダービー馬アカマスを輩出し、すぐに脚光を浴び、1986年心臓発作で急死するまで、短距離馬から長距離馬まで、世界各国でまんべんなく活躍馬を出しました。

日本にも種牡馬としてミルジョージ、マグニテュードなどミルリーフ産駒が輸入され、イナリワン、ミホノブルボン、タケノベルベットなどがミルリーフの血を受けついだ馬達が大活躍しました。
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【血統図】
ミルリーフ.JPG
posted by 楽天馬2 at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 競走馬達の物語
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